サラエボ

到着日に口コミの良かったドミトリーは内容的にはまぁ普通だったんだけど、
なにせ山の坂の上にあって市内までアクセスがめちゃくちゃ悪かったので一泊で去った

一日目に市内を歩き回り地理を把握したので
2泊目は市内まで簡単に行けそうで、
なおかつ、前の宿より安いのにドミトリーじゃないシングルルームをたまたま見つけてので泊まってみた

まぁ、大体予想はついてたけど一軒家タイプのB&Bスタイル

看板も無くマップと外壁のデザインで
探し当てた

チャイムも無いので勝手に庭の玄関から入り

玄関近くに行くと恰幅の良いママさんが
表れてウェルカムしてくれた
のっけからだいぶフレンドリーな人だった 笑

部屋はダブルベットの部屋と別にソファーのある小部屋

一人じゃ持て余す広さだ

パスポートや支払いの
チェックインというのもこれといって無く

部屋に荷物を置いてから庭に案内され
飼い猫を紹介され 笑

庭のベンチに座り、
オーナー女性としばし歓談

彼女は夫婦でこの家に住んでいて
家がデカイので余った部屋で
B&Bをしているらしい
とても気さくで彼女の英語はとても分かりやすいので助かった

その後、街に出て散策、
丁度この一週間の間にサラエボフィルムフェスティバルという年1のイベントだった
らしく人がワンサカいる
そんな事全然知らないで来たけど、
宿が若干高くなってるのは
この影響だったらしい

街はこじんまりとしていて、明日ゆっくり見ようと思ってたけど1日でほぼ見て回れる規模だった

この街は色んな歴史と文化、民族が入り混じっている、
正教会があると思ったら近くにモスクもある、
東洋と西洋の境界線が街の中にあって
歩いていると建物の外観がガラッ!と変わる

東洋側の町並みは平屋の瓦屋根が立ち並び
古い町並みがそのまま残っていて
それをそのまま活用した飲食店やらお土産屋などがずらーっとある

その光景は何故か不思議と
日本の下町の風景とリンクしていた

ヨーロッパ風を毎日見て歩いてきたので
今までにないとても不思議な街だ

そしてこの街、というかボスニアでは
その交じり具合が原因で戦争にまで発展した
過去がある、
それもかなり最近の事で25年前後前

昨日まで中の良かった友達やご近所さんが
民族の違い、宗教の違い、とかそんな理由で

その日から生死を争うようになったらしい、

観光地化されている場所から
少し離れて散歩すると未だに建物の外壁には
点々と凹みがある建物を多く見られる

それは全部砲弾の跡

こんな市内中心部で砲弾が飛び交っていた

なんて、信じられないくらいに

この街の人は明るくフレンドリーだ

何も知らないで訪れたなら
なんの違和感も無いだろう

でも、その過去を知る事が
この地を訪れたなら義務というか、
ボスニアの人達と接する前の予備知識と
礼儀として少しお勉強がてらに
ミュージアムに行った

日本で見る戦後の記録とかはいつも白黒映像でどこか遠い昔の話のように感じるのだが

ここに残されていたのは、
ほんの数十年前のカラーの映像記録や
カラーの写真、それがまたリアリティを
感じさせる

街としては数件そんなミュージアムがあるものの、
その戦争があった事を観光ビジネスの題材として扱っているようには
感じられなかった

至って普通の街でフィルムフェスティバル
やってるなぁぐらいで

それでも街の一画にはその争いで
亡くなった人達の集団墓地がある

これがまた、すごい数
少なからず
この墓石の数だけの犠牲者があったと
思うだけでとんでもない事が起きていたことが分かる

そんな風景や赤屋根の民家を一望できる
丘の上の砦の跡地に行ってその日は終了

まぁ、何にしても、昼間の気温が30度超えなのでめちゃくちゃ暑い

ピザを買って帰り宿につくと、
オーナーの主人が出迎えてくれた

この人もまた奥さんと同じく
とてもフレンドリーだ

少し話して、ピザが冷める前に部屋に戻る

7マルク(420円 で窯焼きのホールピザ
なかなか美味かった

で、一服しようと庭に行くと主人

またしても庭のベンチに座り色々と話した
自分の旅の事、ボスニアの事、
コチラからは敢えて切り出してはないけど
戦争の話もチラホラと

で、夜も更けたのでその日は就寝









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